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文字スケッチ

文字による生活の散策

静かなはじまり

 何かが違っている。思い出してみると、僕がふとした瞬間に感じるのは、まさにこういった感覚だ。何と何が違うのか。それを言葉にしようと、手元にある無印良品のメモ帳で文字を書き連ねていくのだが、それは僕の思考とは全く別物の、歪んでいて、何とも呼びがたい文字の羅列が出来上がる。

 詩と呼ぶには拙くリズムに欠け、思想と呼ぶにはあまりに混沌としている。

 スケッチという言葉がある。絵画の素描のことだが、ある小説家が文体を習得するために、眼に映る風景を文章でスケッチしていたと言う。僕もそれに倣い、頭のなかで渦となっている思考を、どうにかスケッチとして、形に出来たらと考えている。

 文字による実験。少し仰々しいが、そう呼んでもいいかもしれない。いつ終わるかも知れず、何が描かれるかも解らない。しかし、物事のはじまりというのは、常に静かなもので、気が付いた時に、巨大な代物になっていたり、取返しのつかない状況になっていたりするものだ。

「そう上手くいくもんかねえ」ニトリの180cm本棚の、上から3段目に飾られているパンダは言った。「文字で書けることなんて、学者や先生や小説家や詩人やブロガーやその他諸々の無名の人間たちが、すでに書き尽くしているのさ」

「うむ」僕は唸った。

 パンダは上海のとある工場で生まれ、その時に、半永久的に枯れない樹脂製の笹を与えられ、上海浦東国際空港の雑貨屋の陳列棚に運ばれた後、50元で僕に買われたのだった。結局、僕はパンダに、ぱんぱんだの、アイアイだの、可愛い名前も付けてあげることなく、今ではすっかり友達だ。

「しかし」僕は言った。「ロマン主義シュルレアリスムだって、その書き尽くされた状態から、生まれたんだろう?」

「なんだいそれは?」パンダは応える。

 このパンダが、工場で生まれた日から、今日この日まで、本と呼ばれものを呼んだことがないという事実に気が付いた。僕は彼の問いには応えなかったが、彼の思考の流れには興味を抱いた。

問い:本を読まぬパンダは、どのようにして言語を獲得したか。

解:工場の作業員、雑貨屋の店員、僕、僕の部屋に訪れた人々

 さて、この解の前者二つは上海の者たちだ。パンダは上海語と日本語の2つを操ることができ、日本語に関して言えば、ほとんど僕自身から学んでいると言える。つまり、パンダの使う日本語は、僕の模倣そのものと呼べはしないだろうか。文字の実験に相応しい事実!

「おい、おれの質問に応えろよ。おたんこなす」パンダは言った。

 僕はうろたえてしまう。《ロマン主義》や《シュルレアリスム》に、明確な定義で説明できないことも確かだが、パンダの使った《おたんこなす》という言葉には、僕自身、衝撃を受けた。断じて、僕の使ったことのない言葉だ。断じて。

 そうして僕は窓を開け、この小うるさいパンダを、ベランダの冷たい手摺に括り付けると、窓を閉めても響く彼の声が聞こえなくなるまで、オーディオのボリュームを上げた。僕はしつこい奴が嫌いなのだ。スピーカーから流れるのは、マイルス・デイビスの《スケッチ・オブ・スペイン》。歌詞もなく、文字のことを考えることで疲れた日には、ぴったりの曲だ。